エフェソ(엡)6:14
正義の胸当て
ヨハネ8:44節「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。」
ここで偽りは悪魔の属性です。ヨハネ黙示録12:10節「わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。」
ヨハネ黙示録19:7-8節「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである。」ここで「正しい行い」と言う言葉の原語はエフェソ6:14節「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、」ここで「正義」と言う言葉の原語と同じです。
私たちが本物のキリスト者であれば、聖なる生活が幸せより優先とならなければなりません。私たちが日頃の生活が悪魔の弱点に捕らわれた生活をする理由の一つが聖なる生活になってないからです。一般的に家庭が幸せで、教会生活が幸せであれば、聖なる生活はあまり関係がないと思う
人々が多いでしょう。ペテロ第一1:16節「「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。」、テサロニケ第一4:3節「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、」、キリスト者としてアイデンティティが必要とされます。ヨハネ17:14節「
わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。」キリスト者として生きる信仰を手に
して行こうではありませんか?