エフェソ(엡)6:1-4
親を敬う
2018年度の母の主日を迎えられました。一年一度は大自然の中で神様に礼拝を捧げることは感謝です。
恵みの中で一番優れた恵みは「悟る恵み」であると言われています。私たちが悟る時には感謝を言えますが、悟らないと不満・不平が出てまいります。ウサギ小屋の様なところで住んでいても悟ると感謝を言えます。100坪の家に住んでいても感謝は出て来ないのです。「母の主日」という名称はアメリカから始まりました。アメリカのバージニア州にあるウェブスタ教会で26年間
教会学校の教師の奉仕をして来たザビス夫人の追悼式のきっかけ
により、その追悼式に参列された人々により、この日を「母の主日」と守って来たと言うことです。
これをきっかけで他の地方に及ぶようになりました。
1914年アメリカ国会で5月の第二主日を母の主日として
定め、今に至るまで守って来ました。
韓国では1930年6月15日救世軍によって母の主日を守り、
1955年5月8日「母の主日」として制定し、公布しました。
その後、教会では1960年に「母の主日」として改称して、
守って来ました。本文2節を見ますと「父と母を敬いなさい。」と語っています。ここで敬うことは親が立派な人だからではなくでも、社会的に有名な人でもなくでも、敬いなさいと聖書は教えています。今の時代は
親が経済力があるか、社会的な身分がある親には尊敬の敬意を見せますが、農業に働く人、あるいは経済力が低い親には敬わない傾向があります。新聞などにも出てくる話があります。
聖書は具体的に親を敬うことについて3つに言われています。
①感謝の言葉を言いなさい。自分によくしてくれる時には感謝の気持ちを表現しますが、そうではないと感謝を忘れます。
②敬いなさいと語っています。イエス・キリストは親を敬うことに対して模範を示した方です。いつも神に父と祈り、それで行ったのです。③扶養しなさいと語っています。