恵みにより
ローマ(로마)12:3-8
3節に「ガル」と言うギリシャ語の接続詞は一般的に4つの意味があります。①原因、②説明、③結論、④連続があります。
しかし、本文では「連続」の意味の接続詞になっています。
ですから、2節と3節は関連していると言うことです。
神様を喜ばせるため真の礼拝者になるためには具体的に何を
求めなければなりませんか?
1.自分の思いが神により統治される人になることです。
3節「わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」他の聖書では「考える」と言う表現が出てまいります。ここで「信仰の度合い」言葉がありますが、「度合い」と言う言葉は「測量の時、測量するために使う道具であります。即ち、これは私たちの思いの基準が必要であるということです。これは、神様のご言葉が
私たちの思いの基準になるべきであります。
私たちの思いの基準が正確にならなければ、信仰生活は神様を喜ばせることが出来ないのです。私たちは日常生活において、その基準が聖書になっているでしょうか
神様のご言葉が私たちの思いの基準になる信仰者になりましょう。箴言23:7節「彼はその欲望が示すとおりの人間だ。「食べるがよい、飲むがよい」と言っても心はあなたを思ってはいない。」、25:28節「侵略されて城壁の滅びた町。自分の霊を制しえない人。」、このように聖書には「思い」「考える」
ことの重要性を強調しています。この世は行動することを強調していますが、聖書は行動する前に心が大切である言われています。エレミヤ6:19節「この地よ、聞け。見よ、わたしはこの民に災いをもたらす。それは彼らのたくらみが結んだ実である。彼らがわたしの言葉に耳を傾けずわたしの教えを拒んだからだ。」、このように聖書は行動する前に思うことを大切にすることを強調しています。
ローマ8:5-7節「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。」