神の憐みと慈愛
ローマ(로마)11:25-32
教会が神様に対して無知になる理由は?人間に対しては重く考えますが、神様に対しては軽んじる傾向、
最近のテレビや新聞などには神様については何の話も出ません。25節「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、」18,20節でもパウロは誇らず、高慢にならないように、と勧めています。しかし、25節では「誇り、高慢」を防ぐ対策は神様の
救いの計画に対して正確に知る知識が必要であると
語っています。ある神学者は神を知る知識は謙遜に役に立つと言っています。そもそも高慢に対する対策は真理であります。その当時のローマ教会のユダヤ人や異邦人たちが神様の目的の下でお互いに自分の位置を把握すれば、何にも誇ることはないでしょう。
さて、このような問題は高慢だけではなく、教会の中でもあります。25節で「秘められた計画」と言う言葉はパウロの手紙には22回書かれていますし、他の新約聖書には7回書かれています。パウロは神様の救いの計画を説明しながら、「秘められた計画」と言う言葉を語っていますか?すなわち、神様の救いの計画、その他の神様の働きの全ては人間の知識や人間の学問では理解が出来、説明が出来るのではないことを強調するためにこのような表現をしています。ある神学者は「理解しにくいものがあることを理解するのが人間の理解力の義務である。」と言われています。私たちは現実において理解が出来ない多くの苦しみの中で生きています。そもそもそれが人間の弱さであると言われるでしょう。25-26節「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。