ペトロ第二1:5-7
四旬節の節制
四旬節の美徳の中で一つは「節制」であります。初代教会の伝統は厳しい節制生活が要求されました。
1.節制と言うのはキリストの苦難を共にする意味もあります。
現在、私たちが守っている四旬節(レント)はAD4世紀末ごろ確立されました教会暦です。英語では一般的に「レント」(Lent)という語が用いられるが、この言葉はもともとゲルマン語で春を表す言葉に由来しているのです。節制と言うのは人間の徳目です。西洋的徳の目録は少なくとも、知恵、勇気、節制、正義というプラトーンの『国家』(435,また443)のそれにまで遡られる。プラトーンは「理性」を白馬に表現し、「欲望、本能」は黒馬に
表現しています。使徒24:25節「 しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と言った。」、パウロは自分は捕囚の身分ですが、当時の総督であるフェリクスに節制を教えています、テモテ第二3:3節「また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、」運転をすると人の節制の態度をわかります。普段は大人しく見えても運転をすると「いらいら」や「落ち着かない」人もいます。
私たちが日常生活において節制することは社会を支えて行く
重要な要因となります。旧約聖書の箴言16:32節「忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。」
2節制は聖霊の実であります。カラテヤ5:23節「
柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」
即ち、節制と言うのは人間の理性や力では不可能であります。
コリント第一7:9節「しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。」コリント第一9:25節「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。」、こように節制と言うのは人間の力では制限があると言うことです。
3.節制は信仰の成熟です。イエス・キリストご自身も節制の生活の模範を示したのです。成熟信仰者として自分の仕事を忠実に行う信者になりましょう。