憐れに思う主
ルカ7:11-17
11節で「それから間もなく」と言うことは、以前は何があったんでしょうか?実は1-10節では「百人隊長の僕をいやす」奇跡の話が書かれています。3-5節「 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」、この箇所を見ますと「百人隊長」と言う人の人格が見えます。6節「そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」この話の続きが11-17節で「やもめの息子を生き返らせる」の話が出て来るのです。 12節「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。」ここで「やもめ」と言う言葉は沈黙する人、声を出すことが出来ない人の意味です。即ち、あまりにも疲れや悩みにより音を出すことが出来ないと言う意味です。そのような状況であると言うことです。そのやもめの希望は唯一自分の息子しかなかったのです。その息子が亡くなったのです。韓国や日本の葬儀は2-3日くらいかかりますが、ユダヤ地方は一日で葬儀を行う習慣があるようです。カファルナウム町からナイン町までは約40kmぐらいです。一般の人が歩くと10時間ぐらいはかかる距離です。12節の内容は「ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった」のです。主はそのやもめを見て、13節で「主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。」と書かれています。主は憐れみ豊かなお方です。13節のような話を聞いて信じる人がいるでしょうか?おそらくないと思います、このやもめは自分の側にいる人が誰なのかも知らないのです。しかし、主はその人を「憐れに思う」だけでした。そのような状況から奇跡は起こりました。14-15節「そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。