聖誕と福音
ルカ1:46-56
2017年度の聖誕節を迎えられました。本日は本当におめでたい日です。
聖誕節はただイエス・キリストの誕生をお祝いする日ではなく、なぜ、神の御子が地上に人間として生まれなければならなかった理由を悟る日であります。本日の本文はサムエル(上)2:1-10節と似っています。しかし、雰囲気は全然違ういます。46-50節はマリアが自分に起きたことに対して神様を褒めたたえる内容、51-55説はアブラハムと先祖たちに与えられた約束が成就されることによってイスラエル民に救いが与えられていることに対して主を褒めたたえている内容に構成されています。
1.48-50、52節ここは貧しいマリアを通して生まれることはメシヤとしての働きと福音を見せて下さるのです。主は貧しい一人の処女の体をを通して、この地上に来られました。ルカによる福音書4:18^-19節「「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」ここを見ますとマルコ・マタイによる福音書とは区別され、主の新しい働きを明らかに表しているのです。主は貧しい人や弱い人に福音を伝えるために来られたことははっきりと語っているのです。48節では「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、」自分をはしためであると表現しています。
2.52-43節「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」
マタイ2:1-12節では博士たちが登場しますが、彼らは異邦人でありながらもユダヤの王として生まれた御子イエスを拝みに参りました。3.54-55節「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」