感謝のいけにえ
詩編50:23
2017年度収穫感謝節を迎えられました。「一年間お疲れ様でした」と挨拶を交わしましょう。今年も多くの恵み、数えれない祝福をいただきました。
23節「告白をいけにえとしてささげる人はわたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人にわたしは神の救いを示そう。」
聖書が言われている感謝はどんな感謝でしょうか?
1.感謝は神様を神様として認めることです。
神様を認めることは神様を栄光に輝かすことであると23節で言われています。「いけにえ」を捧げる人は何を持って捧げるでしょうか?それは「捧げる物」だけではありません。義務感や無理やりではなく、むしろ形式的なものではなく、感謝を持って捧げるように勧められています。
感謝が神様を栄光に輝かすいけにえであると23節教えています。何よりも大切なことは感謝により捧げられるいけにえです。感謝は神様を栄光に輝かすことであり、神様に栄光を帰することでもあります。即ち、これらが神様を神様として認めることでありましょう。しかし、22節には「神を忘れる者よ、わきまえよ。さもなくば、わたしはお前を裂く。お前を救える者はいない。」ここで私たちは本当の感謝が出来なくなる理由を説明しているのです。即ち、「忘れる」ことです。
私たちが生きている全て、神様により守られ、導かれていること、これらのことを忘れず、感謝を捧げることが本物の感謝であることです。 7節、10-11節をご覧下さい。7節「「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神。」、10-11節「 森の生き物は、すべてわたしのもの山々に群がる獣も、わたしのもの。 山々の鳥をわたしはすべて知っている。獣はわたしの野に、わたしのもとにいる。」しかし、聖書はこの地上にいる全ては神様のものであり、神様の支配にあることを教えています。このように神様を認めることが感謝です。コリント(第一)15:10節「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」
どんな状況の中でも感謝する信仰者になりましょう。