裁いてはならない
ローマ(롬)14:1-12
宗教改革者「ジャン・カルヴァン」が人生の教訓とした一つの言葉があります。また、同じく宗教改革者「マルティン・ルーター」もこの言葉を好んで使っていました。その言葉は「Coram Deo」、「神の御前に」という言葉です。今年は宗教改革500周年の年であり、また、今日は「宗教改革記念主日」でもあります。宗教改革者たちが常に「神の御前に」と言う思いで「改革」に臨んだように、私たちも主の日だけでなく、日々の生活においても常に「神の御前に」と言う思いで生活しなければならない。それが、宗教改革の精神を受け継ぐことだろうと思います。
毎年9月1日に東京都墨田区横網町にある東京都立公園では「関東大震災」の犠牲者追悼式が行われています。
東京都慰霊堂では関東大震災の時に犠牲になった方々のため「追悼大法要」が行われ、その近くにある関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑では、関東大震災の時に犠牲になった朝鮮人犠牲者のため「追悼式典」が行われています。しかし、今年の「朝鮮人犠牲者追悼式」に小池百合子都知事が「追悼文」の送付を見送り、また、その「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」に書かれている犠牲者の数が間違っているなどとの抗議もありました。
でも、同じように韓国においても国家権力による事件があります。その一つが「国民保導連盟事件」です。1949年、李承晩大統領が「左翼思想」に染まった人々を「保護し導く」と言う趣旨で作った更生団体がこの「国民保導連盟」です。しかし、朝鮮戦争の時に何の罪のないここに名前が載っていると言う理由だけで多くの人々が殺されました。
このようなことはいつの時代においても起こり得るお話です。しかし、このような状況、このような時代におかれた時、私たちクリスチャンはどのように生きるべきでしょうか。使徒パウロは教会を一つにするのは「愛」しかないと思っていました。その愛とは「兄弟愛」であり、「敵をも愛する愛」です。教会が社会と異なる大きな違いはこの「愛」にあります。すなわち、私たちは「自分の満足」を求めるのではなく、神様のために生きる者とならなければなりません。兄弟姉妹を愛し、教会が一つになれるように、また、社会を愛し、社会が神様の愛にとどまるように導かなければなりません。その使命が私たちに、私たちの教会にあります。どうか、兄弟姉妹を愛し、隣人を愛する私たちでありますように、お祈りします。