関係の力
ルカ14:7-14
7節「イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。」人間は誰でも上席に座りたいと言う気持ちは持っていると思います。
私たちが誰かを配慮し、その座る席が私たちに関係を作って行くのです。私たちは心理的に自分が良く出来る仕事、自分がやりたいことをしたいと思うのです。自分一人で上手くしても関係がよくなるのではありません。私たちがどのような霊的な位置を持っているのか?ヨハネ第一の手紙1:8-9節「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。、私たちは神様の前には罪人です。
神様の前に罪が見えれば、謙遜で低くなります。
自分が低くとなると相手が見えて来ます。ですから相手を配慮するのです。私たちが高慢になりますと、相手が見えません。
英語で「Relation+Ship」船を漕ぐと言う意味です。
関係と言うのは一人で済めば出来ることではなく、共にするのです。即ち、共同体の問題であります。
欲張りと嫉妬を区別する時、「欲張り」は自分が持ちたいと言う気持ち、しかし、欲張りは自分を満たすことが出来ないから傷を受けることになります。そして、「嫉妬」は相手が持っていることを妬むことです。これも相手が持っていることにより、傷を受けるのです。ですから嫉妬が欲張りよりも怖いのです。
10-11節「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」、お客なのに自分が席に座ったのです。
その席に座る人が来られたので、主人が来て席を変えようとするのです。このひとは常識を外れています。
人間関係を円満にするキリスト者になりましょう。
私たちの生き方は所有ではなく、存在であります。
幸せはどれほど所有したことではなく、共有すること、欲張りと嫉妬に勝つことでしょう。
アダムは欲張りによって罪を犯します。