二つを一つになる祝福
19節「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、」
なぜ、パウロはこのように話をしているのでしょうか。
その当時のエフェソ教会にあった問題です。エフェソ教会の信者の中には律法を知る人と律法を知らない異邦人、このようにお互いが違いを持ってキリストを信じるのです。
ある人は自由人としてキリストを信じ、ある人は奴隷の身分でキリストを信じるのです。しかし、このような状況の中で身分が
問題になりました。さてパウロは13節で「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」
パウロはエフェソ教会に一つになるように勧めているのです。
キリストの血によって近いものとなっていることは一つであることを強調しています。14節「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、」、二つを一つにしたのは十字架であると言うことです。それによって平和が訪れるのです。真の共同体の証しは平和であります。主イエス・キリストが十字架で血を流したのは二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊すためであると言うことです。
ここで「肉において敵意という隔」は何でしょうか?
それは罪のことです。14-15節「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、」
私たちの中にある個人的なもの、自己中心的なもの、律法的なものを取り除く時、自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊す時、真の共同体が成り立ちます。二つを一つになる秘訣は聖霊の導きによる共同体です。そこには真の平和があります。二つを一つになる祝福が家庭と教会に満ち溢れますように前進して行こうではありませんか?