神の恵みを忘れぬ信仰
詩編103:1-5
1節「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。」他の聖書では心を尽くして、と言う表現もあります。主に出会った人の讃美はまさしくこのような態度が現れるでしょう。神様の恵みを忘れない人の讃美は1節のような讃美が出来ると思います。2節「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」神様の恵みを忘れない人は日々讃美が続けられます。反対に讃美をしないことは神様の恵みを忘れていることでしょう。私たちが神様を正しく知らないと神様を怖い方であると思われます。自分勝手に信仰生活をする人には神様が怖くなるのです。神の御心を悟り、そのように実行する人には神の存在はやさしく、愛が溢れるお方であると言われるのです。
神に出合ったに人には神様は素晴らしいお方であると証ししています。詩編42:2節「神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て神の御顔を仰ぐことができるのか。」3-5節「主はお前の罪をことごとく赦し病をすべて癒し命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ鷲のような若さを新たにしてくださる。」このような証しをすることが出来たことははやりこの詩編を書いた人も神様に出合った経験があるからです。
私たちがこの礼拝に参加する時に悔い改めのないままに座っていると罪責感を感じて讃美が出来ないのです。
そして神様が怖い存在になるのです。8-11節「主は憐れみ深く、恵みに富み忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなくとこしえに怒り続けられることはない。主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなくわたしたちの悪に従って報いられることもない。天が地を超えて高いように慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。」、私たちもこのように祈りたいです。
神様を恐れず、心から讃美を捧げる信仰者になりましょう。
12-13節「東が西から遠い程わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。父がその子を憐れむように主は主を畏れる人を憐れんでくださる。」、神様の恵みを忘れることなく、主をほめたたえる信仰者になりましょう。