嫉妬に勝利
ヤコブ3:11-18
嫉妬と言う感情は自分の中で起こるものですが、他人から影響を受けます。私たちの中に嫉妬が入ると長所や欠点が見えなくなり、長所や欠点が隠されるようになります。
11-12節「泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。」
嫉妬と言う感情が起こるところには聖霊の実は見えなくなります。14-15節「しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らって、うそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、
地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。」、
ヤコブはここで対比して説明をしています。ここで「内心ねたみ」は「この世のもの、悪魔から出たもの」であるとヤコブは言っています。ですから私たちの心の中に「嫉妬」が存在していることは大変危険であります。16節「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。」
しかし、嫉妬と言うものはそれで済まないで、「混乱やあらゆる悪い行い」が生じることです。
マタイ10:35-42節「わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたし
に従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」、イエス様は十字架を背負うために山を登るにも関わらず、彼らはこの世的なものを求めているのです。
彼らはこの世的な価値観で話をしているのです。