神の主権
ローマ9:6-13
パウロは自分の同胞はあまりにも素晴らしい神様の恵みを受けていたかを4-5節で表現しています。
4-5節「彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。」
しかし、そのような環境の中でもイスラエル民は福音を受け入れてないことを見て悲しみの中にいるということです。
6節「ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、」ここでパウロは神様の言葉は「決して効力を
失った」わけではないと言うことを強く強調しています。パウロが提示していることは、血統的にイスラエル民族で あるから全ての人が約束を受けていることではないこと、イスラエルで生まれたから皆がイスラエル人ではないと言うことです。パウロは自分の同胞がイエス・キリストの福音を 受けていないことがどれほどつらいことであるかを語っているのです。 それを説明するために、事例を挙げているのです。
即ち、アブラハムの息子であるイサクとイスマエルの話を7-8節語っています。7-8節「また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。」、続きまして、13節はエサオとヤコブについて語っています。13節「「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。」パウロはここで救いは神様の主権であることを言いたいのです。神ご自身の意思と御心であると言うことです。
10節「それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。」神の主権の元にある救い。