不十分の中でも
マタイ14:13-21
13節「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。」、ここで「これを聞くと」と言う聖句は釈儀が難しい場所です。注解によれば、洗礼のヨハネの死刑の話しを聞いたと言うところもあれば、14章2節「 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」ですから14章3-12節の出来事は1-2節対する補充説明であると言うことです。そして、「ひとり人里離れた所に」、ここで問われるのはその場所がどこなのかと言う問題です。
ルカ9章10節を参考にすれば、理解が出来ると思います。
ルカ9:10節「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。」即ち、ガリラヤの東北の海岸にある町でありましょう。イエス・キリストはひとり人里離れた所に行かれて、これからの働きの準備のために行かれたと言われています。イエス・キリストの周りにいる人々は自分を癒してください、憐れんでください、救って下さいなど求める人々でした。だれもイエス・キリストのこれから働きや、最後には十字架を背負い死ぬことについては関心がなかったのです。
15節「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」ここで弟子たちの信仰を見ることが出来ます。彼らは問題から逃げようとして群衆を解散させてくださいとイエス・キリストに提案をするのです。
4つの福音書には全部書かれている内容ですが、ヨハネ福音書6章はこの奇跡を行い、すぐに命のパンについてイエスは説教を行うのです。人間は肉体的なパンも必要としますが、しかし、大切なことは命のパンがより重要であることヨハネは強調したのです。わずかなことにもイエスが関心を持っておられるのです。足りなくても、不十分であっても主は必要なものを満たして下さるお方です。