挫折の中でも
詩編74:1-8(韓1-8)
本文は祈りの復興と祈りの回復について語っています。
1節 「神よ、なぜあなたは/養っておられた羊の群れに怒りの煙をはき/永遠に突き放してしまわれたのです か。」
神様が本当に生きておられるならば、なぜ、バビロンの兵士たちがエルサレム城を砲撃し、エルサレム神殿を壊しているのを見ておられるならば、なぜ、沈黙しているでしょうか?神殿を汚しているのを見ておられるのでしょうか?
詩編を書いた人はそれが理解出来ないと言っています。
10節「神よ、刃向かう者はいつまで嘲るのでしょうか。敵は永久にあなたの御名を侮るのでしょうか。」
さて、詩編を書いた人は神様に切に求めているのです。
神様、どうぞ、沈黙しないで下さい。敵をそのままに置かないで下さい。
18節「主よ、御心に留めてください、敵が嘲るのを/神を知らぬ民があなたの御名を侮るのを。」詩編を書いた人は神様はイスラエルを忘れているのではないか・バビロンの兵士たちがしていることを分からないのではないか?そもそも神様は自分たちを忘れず、覚えて下さいと叫んで祈るのです。神様が見ておられるならば、なぜ、黙っておられるのか?確かに神様は忘れていると思うから覚えて下さいと叫んでいるでしょう。神様は知りながらそのまま見ておられる方ではないことを詩編を書いた人は理解しているのです。22節「神よ、立ち上がり/御自分のために争ってください。神を知らぬ者が絶えずあなたを嘲っているのを御心に留めてください。」、詩編を書いた人はそもそも神様は居眠りをしているのか?神様は目覚めているならなぜ、このようなことが起こるのですか?私たちはこのような祈りをしたことがありませんか?
もちろん、全く同じ状況の祈りではないかも知れません。
本当に辛い時には詩編を書いた人と同じ気持ちで神様に祈ったことがあるかも知れません。
イザヤ書6:6-7節「エルサレムよ、あなたの城壁の上に/わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ決して沈黙してはならない。また、主の沈黙を招いてはならない。主が再建に取りかかりエルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。」