柔和の実
ガラテヤ 5:22-23
引き続きまして聖霊の実について学びましょう。
本日は柔和の実について共に恵みを分かち合いましょう。聖書で言われている柔和は①状態による柔和
②行為による柔和があります。
柔和の原語は「フラウテス」で、元々は野生動物の性質を現す言葉です。即ち、訓練によって整えのられて
自ら節制し、コントロールの力が出ている状態のことを柔和と言います。イスラエル民族を導いた偉大な指導者であるモーセの性格はせっかちで、暴力的な
性格でした。しかし、40年間ミデイアンで訓練を受けることによって融和に人になりました。
民12:3「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。」
神様の御手によって訓練されれば、柔和な人になるようになります。士師の時代の状況を書いている聖書は士師記17:6節「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」この世には、モーセのように訓練してくださる調教師が共にする人もいますが、士師時代の彼の人格を訓練してくださる調教師が共にしない人もいます。そして、行為による融和です。
コリント第一13:4節「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」
柔和は周りから不当な行為を受けても、復習しないことや相手にお返しをしないことです。
ここでは「情け深い」と翻訳されていますが、原語では柔和の意味であります。他の言葉で表現しますと
「親切」に訳すことも出来ます。
忍耐強いという言葉が消極的な態度であれば、次に書かれている「情け深い」は積極的な態度を指しています。マタイ11:29節「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。