御国が来ますように
マタイ6:10
本日の祈りは「御国が来るように」と祈りを教えています。旧約時代からすでにこの祈りは預言者を通して続きました。神の国が来ることは神が治める国を指しています。
神の国は目に見えるこの世の国ではありません。
この世の国は土地、領土、主権が必要です。しかし、神の国はこのようなものではありません。
旧約時代のイスラエルは目に見える国が来ることを期待しました。ですから彼らはアブラハムやダビデに約束したそのような国が来ることを期待しました。
マラキ4:5-6節「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 彼は父の心を子に子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。」
「御国が来るように」という願いは聖書全体に流れている
とっても重要な概念をもっているのです。
ルカ17:20-21節「ファリサイ派の人々が、神の国は いつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」この意味は神様が治め、イエス・キリストが中心となる弟子たちの中に神の国があると言うことです。神様が治め、イエス・キリストが中心となるとどのようになりますか?ローマ14:17-18節「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。」、ここで「国」はギリシャ語では「バセ
レイア」で、元々の意味は「統治、王権、王国」の意味です。旧約で神の国の概念は①神様ご自身との関連です。②メシアとの関連で現れる王権、③ダニエル7:13節に記されているメシアを超える超自然的な存在として永遠なる人の子と関連している神様の王権のことです。神の国を信じることと信じなことは大変大きな違いが起こります。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元