詩編32:8-11
主によって喜び
私たちは信仰者として毎日,何が神様を喜ばせるかを決定して行きます。そして人生の中で可能性を見出す祝福の道を選ぶのか、選ばないのかも大きな選択でしょう。
多くの人はその大切な道を間違って選択することにより不幸な人生を
過ごしている人もいます。本日の本文を書いたダビデは生涯に自分が行くべき道を知っていた人でした。そして、ダビデも生涯の中で難しい
決定しなければならないことが数回もありました。
サムエル(上)24章に書かれていますが、ダビデが隠れていた洞窟に
サウルが入りました。サウルを殺す良い機会でしたが、サウルを殺さないように決定したのです。そして、サムエル(上)25章に書かれているナバルの無礼な行動でダビデは殺そうとした時、ナバルの妻、アビガエルの配慮によって、結果的には殺さなかったのです。
ダビデの偉大な信仰がここにあります。8節「わたしはあなたを目覚めさせ/行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう」すべてのことは神様が教え下さり、
どのようにしたら神様の御心なのか?そのようなことに
ダビデは神様から教えていただき、従う信仰者でした。
私たちも人生の道が見えない、様々な問題に混乱を覚える
時には神様に委ねて、神様から答えをいただく信仰者に
なりませんか?9節「分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。」
この箇所は神様がダビデに警告している内容です。人間はだれでも自由に行動したいと思うのです。その結果神様の、声を聞けなくなります。神様は自由で行動することが
いかに危ないことであるかを語っているのです。
創世記2:17節「ただし、善悪の知識の木からは、決して 食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
確かに神様は彼らに警告しました。しかし、人間は自由に
したいという思いが働くのです。そうすると神様の御声が
聞こえなくなります。神様を忘れ、自分勝手に行動したのです。王なる主は私たちの心にいらしゃるのです。私たちの人生の道が見える霊的な目が開かれ、主に喜ばれる道を求めて行きましょう。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元