2025年11月30日 イザヤ52:3-6

武庫川教会 0 200

 

待降節第一週  本当に知っていますか?

イザヤ52:3-6

待降節(アドベント)第一週は、約束の実現を待ち望む時です。救い主の到来を待つ私たちは、ただ暦の上で待つのではなく、神がどのような方であるかを「知る」ことへと招かれています。イザヤ書52章は、捕囚の民に語られた言葉です。かつてイスラエルはエジプトで苦しめられ、そして今、バビロンの地で神の民は「ただ同然で奪い去られ」嘆きの中に置かれていました。神の名は侮られ、民は希望を失い、神が共におられるという確信さえ揺らいでいました。

そのような中で神は「銀によらずに買い戻される」と告げます。神の救いは取引や力によるものではなく、神ご自身の愛と決意によってもたらされる、と宣言されています。「それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るであろう」。ここでの「知る」とは、情報として理解することではなく、人生の現実の中で体験し、信頼し、委ねることです。苦しみや孤独の中でこそ、神は「見よ、ここにいる」と語りかけられます。

アドベントは、神が沈黙しているように思えるときにも、神は確かに働いておられることを思い起こす季節です。捕囚の民が自分の状況を見ながら「神は本当におられるのか」と揺れ動いたように、私たちもまた生活の中で、祈りが聞かれないように感じる瞬間があります。失望、喪失、痛みの中で「神はどこにいるのか」と問うことがあります。しかし神は言われます。「見よ、ここにいる」。救いは遠くではなく、私たちのただ中に訪れます。

アドベントの始まりにあたって、私たちは問いかけられています。「本当に知っていますか?」と。神は私たちの努力や価値によってではなく、ただ恵みによって回復を与えられる方です。捕囚の民を立ち上がらせたように、神は今日も私たちを絶望の鎖から解放されます。救い主を待つ歩みは、現実から逃げる時間ではなく、神の約束に再び立ち上がる歩みです。

このアドベントの時に、私たちが神の救いをただ知識としてではなく、出会いとして受け取り、希望のうちに歩み始めることができますように。

 

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