2025年4月20日 Ⅰコリント15:12-19

武庫川教会 0 199

復活節・聖餐式・洗礼式 

復活の恵み 

Ⅰコリント15:12-19

 

私たちは2025年度のイースターを迎え、イースター礼拝を捧げようと集まっています。

 

この時間、復活されたイエス様の恵みが皆さんに共にありますようにお祈りします。今日の御言葉のタイトルは「復活の恵み」です。人間が堕落して以来、この世界に変わらない事実は、人間は死ぬということです。この原則は、神様の特別な例外がない限り、変わらない真理です。ですから、「一度死ぬことは人に定められたことであり、その後に審判がある」(ヘブライ9:27)とあります。

 

しかし、もう一つの真理は、イエス様は死にましたが、復活され、今も永遠に生きておられ、自分を信じる者に救いを与えてくださるという事実です。したがって、イエス様を信じる者は、現在、その魂が生き返り、将来、肉体までイエス様のように永遠の生命体に変えられます。これを私たちに見せていただくために、イエス様は直接死者を生き返らせました。

 

イエス様が死者を生き返らせた奇跡が3回ありましたが、それは12歳の会堂長のヤイロの娘と、ナインという町の未亡人の息子、そしてラザロです。既に死んでから4日経ったラザロに大きな声で「ラザロよ出て来い」と呼ばれた時、死者が生き返りました。それだけでなく、イエス様はご自身が死んでから3日後に生き返られました。主の復活の恵みは何でしょうか?

 

それは、信じる者を義とされる恵みです。

 

ローマ書4章25節「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」とありますが、パウロはなぜ、このように語ったのでしょうか?

 

第一コリント15章17節「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」。なぜでしょうか?イエス様の復活がなければ、聖徒の中に罪を克服する命が存在しないからです。

 

私たちの中に勝利の命がありますが、その命はまさにイエス様の復活の命です。ですから、イエス様が罪に勝ったということは、私たちの罪に勝ったということです。そして、私たちの死に勝ったということです。ですから、イエス様の復活がなければ、すぐに生きることができません。イエス様の復活は復活で終わるのではなく、このように私たちと密接な関係を持っています。


 

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