四旬節第三週
目覚めて祈る
マタイ26:40-46
まず、36‐38節「それから、イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。 「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
イエスは日曜日にエルサレム城の入城されました。
マタイ21:10節「イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。」、、そのような状況の中から、主は自分の死が迫って
来たことを分かりました。。その後、弟子たちとゲッセマネ園
に出かけるのであります。その夜は主イエスにとっては最後の日でした。その日の祈りは自分をすっきりしぼるような祈りでした。祈ることは肉体的には疲れます。しかし、
祈ることにより霊的な力を吸収することになります。
イエス様は悲しみと悩みに持っておられましたので、祈るしか出来ないことをわきまえていたのであります。
38節「「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」、ここを見ますと
その当時のイエス様の心境が良く表現されています。
人間はだれでも悩みがあります。しかし、信仰者の悩みは罪を犯さず、聖書的に生きたいという悩みがあります。さて、イエス様の悩みは十字架の前で、自分の心ではなく、神様の御心を行いたいと悩みがありました。イエス様は人性と神性を同時に持っておられたので、人間的な悩みに悩まされたのであります。しかし、39ー41節「少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」