四旬節第一週
私の心の主人
詩編19:1-6
1節「天は神の栄光を物語り大空は御手の業を示す。
この聖句は私たちが飛行機に乗って空の旅をするような
イメージです。ダビデはそのように感じていることであります。しかし、そうしながら14節で「どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。」、ダビデは日頃、いつもこのような信仰者でした。
自分の心の主人は神様でありました。つまり、自分の口の 言葉が神様の御旨にかない、自分の心の思いが御前に置かれますようにと祈りました。私たちはどうでしょうか?自分の思いが恥ずかしいことやあまりにも自己中心的なものはありませんか?エレミヤ17:9節「人の心は何にも まして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。」このように先ほどの詩編19編14節のような告白はだれでも出来るものではないでしょう。
私たちの心はいつも複雑な心になっている場合が多くあります。最近のようにコロナ渦にあって、制限されるものも
多くあり、自由行動が厳しくなっていることで精神的な
ストレスが多く増しているのが事実であります。
悪い思い、情欲的な思いはサタンから来るものであります。ヨハネ13:2節「夕食のときであった。既に悪魔は 、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。」、このようにサタンは静かに心に入り、攻撃するのであります。使徒5章に出て来る「アナニアとサフィラ」も心の中にサタンが入りました。
ですから私たちは24時間主を仰ぐことが大切であります。
3-4節「話すことも、語ることもなく声は聞こえなくても、その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。」
自分の口の言葉が神様の御旨にかない、自分の心の思いが 御前に置かれるようになりますと神の御声が聞こえて来ます。7-8節「主の律法は完全で、魂を生き返らせ主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え主の戒めは清らかで、目に光を与える。」