ルカ23:34
十字架のゆるし
2026年度の四旬節の期間となります。本日より第一週目となります。実際に殴った人がより傷ついているのか、殴られた人がより傷ついているのか、私たちは知りません。
しかし、重要なのは、その出来事の後で私たちが誰であるかを証明するのは「許すか許さないか?」ではないでしょうか?
この世の人々が受ける不当な扱い、当然私たちも受けるのではないでしょうか? イエス様もそのような不当な扱いを受けられたのです。 しかし、イエスが私たちの救い主であるのは、まさに十字架の上で釘打つ者たちを赦されたからです。
いや、数えきれないほど神の胸に釘を打った私たちのために、
御子イエス・キリストを遣わし、私たちを赦すと決心されたのです。少し悲壮ではありませんか?
やむを得ない赦しではなく、赦すと決心された神の心です。
これが私たちが信じる神、信仰、恵みではないでしょうか?
私たちの人生で最も悩ましい瞬間があります。「許さなければならない瞬間」です。確かに許されるべき人もいれば、許せる人もいます。時にはこの区別が非常に曖昧です。
しかし、明らかなのは、自分が「許さなければならない立場」にあると思う時に、どのような行動を取るかということです。
イエス様が十字架の上で語られた七つの言葉について分かち合うことになりますが、静かにこの言葉を黙想してみると、本当に十字架の上で語るのは難しい、いや私たちが最も言いづらい言葉を十字架で語られたのだな!という思いがします。
皆さんが直面するあらゆる困難や不当な扱いも、誰かの「悪意」というより、避けられない状況が皆さんを苦しめているのではないでしょうか?しかし、どんな形であれ、皆さんを傷つけた人、許せない人を許さない限り、その苦しみを味わうのはまさに皆さん自身だという事実です。