神様の慰め
黙示録7:9-17
7章1節には、「この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた」とあります。四人の天使が現れ、2節で日の出る方角から一人の天使が出てきて、その天使が言うには、3節で神が僕たちの額に印を押されるまで、海、地、木を荒らす風を荒らすなと命じています。3節の「刻印する」という言葉は何を意味するのでしょうか。
ここで「刻印する」という表現は馴染みのない言葉です。しかしエフェソ人への手紙1章13節を見ると、ここでも約束の聖霊によって印を押されたと記されています。
印を押された者が神の僕であると言われます。そしてエフェソ書では、その印を押された者がキリストに属する者であると述べています。また封印について語る際にも、その封印に自らの印を押すことで、その印を持つ者が封印を解き、中にある内容物を見る資格を得ました。私たちがよく知っているように、陶器を作り完成品になると底に作り手の印を押すのです。
このような言葉をギリシャ語で「トキモス」と言います。韓国は印鑑の国のため、「印を押す」という言葉がここで分かりやすいかと思います。それゆえに印を押す。666バーコードを指すのではなく、所有を意味し、承認を意味するのです。
ではいつまで海、地、木を荒らす風をいつまで許すのでしょうか。言葉が象徴していた戦争、飢饉、迫害、患難、死、滅び、こうしたものをいつまで握り続けるのでしょうか。
神がしもべの額に印を押すまで握り続けよと言います。刻印を受けた神の僕の数が登場し、14万4千人と言います。4節に記されており、この数字を文字通り解釈する異端があります。皆さん、周囲でこの数字を掲げて語る者に注意してください。
この数字は12,000人×12部族で140,400という数字になります。
ここで12とは完全な数を意味します。そして聖書における「24人の長老」という表現も、旧約の12部族、新約の12使徒を意味します。すなわち新約・旧約聖書において神の民を代表する者たちを24人の長老と呼ぶのです。4節の14万4千という数も、多くの者、全ての部族が均等であるという意味です。