恵みの善い管理者
Ⅰペトロ4:7-11
「万物の終わりが迫っています」とペトロの手紙一は語ります。ですが、これは恐怖をあおる言葉ではありません。聖書が語る「終わり」とは、滅びではなく救いの完成を意味します。キリストの十字架によってすでに始まった救いが、やがて全き完成に至ることを指しているのです。だからこそ、この時を無責任に過ごすのではなく、よく考えて判断し、責任をもって生きることが勧められています。
そのために欠かせないのが祈りです。神様に心を開き、御心を尋ねながら歩むのです。さらに「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」と語られます。キリスト者は互いに関わり合い、愛を保ち続けるよう招かれています。その愛は相手を無視しないことであり、互いに覚えて祈り合うことです。そして愛は「多くの罪を覆う」と告げられます。私たちが愛するとは、互いに赦し合うことにほかなりません。しかし現実には、私たちはしばしば愛せず赦せない自分に直面します。その時に思い起こすべきことは、私たち自身がすでに神様の愛に覆われているという事実です。十字架に示された神様の愛は、私たちを罪のすべてから包み、覆っています。その愛に支えられるとき、私たちは互いに赦し合い、仕え合う者へと変えられていきます。
神様は一人ひとりに異なる賜物を与えられました。すべての人が「恵みの善い管理者」として、それぞれの賜物を用いて互いに仕えます。その奉仕の源は私たち自身の力ではなく、神様の力です。そしてその全ては神様に栄光が帰されるためなのです。
私たちは終わりを見据えて、思慮深く祈り、愛し合い、もてなし合い、賜物を用いて仕えるように召されています。神様の愛に覆われ、祈り、互いに赦し合い、仕え合うことを通して、私たちはすでに始まった救いの完成を待ち望みつつ歩むのです。