2025年9月14日 黙示録3:14-22

武庫川教会 0 2

ラオディキアにある教会へ

黙示録3:14-22


16節を見てみましょう。「 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」

私たちの主は、非常に強い口調で「吐き捨てられる」という言葉を使われています。これはラオディケア教会に向けた主の言葉です。なぜ私たちの主は「ぬるい」とおっしゃるのでしょうか。

ここで「ぬるい」とは、信仰的に冷たくもなく、熱くもない信仰を意味します。ジョン・ストット牧師の注解からの解釈を紹介しますと、熱心のない信者、何事も適当に扱う信者を指す言葉です。熱心のない信者、何事も適当に扱う信者を指す言葉です。このような熱心がないなら、むしろ冷たい方がましです。冷淡で関心がない、死んだ方がましです。信じると言いながら曖昧なものは、より悪いものです。神に反対し、イエスを信じる者を迫害し、ののしり、妨げる者たちよりも、教会の中にいながらこれでもなく、あれでもない人々がより悪いのです。

「冷たくもなく、熱くもない」という言葉の意味は、冷たい味、熱い味として理解すれば分かりやすいでしょう。

私たちの主は、味わうことを望まれる方です。 

私たちの交わりを味わっておられる方です。私たちが早天祈祷会をすると早天祈祷会、まだ私たちが地区集会をするとその味わいを、味わっておられる方です。

14節を見てみましょう。「ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。』」

まるでみ物をんでその味を評する裁判官のように、主が語られます。主は証人であり、の支配者であり、ラオディケア教会の味を確かめられたのですが、その味は正確で、誇張がなく、まさに主が語られた通りのものでした。

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