愛を身につけなさい
コロサイ3:12-17
聖書には服や衣といった着物についての話が幾度も登場します。「服を着せる」とは、「保護する、守る」という喩えでもあります。例えば、創世記のはじめには、裸でエデンの園を追われたアダムとエバに神様は皮の衣を作って着せられます(創3:21)。また、放蕩息子の話には、心身ぼろぼろになって家にもどってきた息子に、父親は走り寄って抱きつき、いちばん良い服を着せるようにと、しもべに言われます(ルカ15:22)。父親は抱き留めて息子を許すことを表し、そのしるしとして服を着せられたのです。
今日の聖書箇所にも、「服を着る、着物をまとう」という意味の「身に着ける」という言葉が記されています。何を身に着けるのかと言いますと、12節にあるように「憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」です。だから、キリスト者である私たちはこれらを何とかして身に着けようと努力をします。ですが、努力によってこれらの徳目を身に着けることができるのでしょうか。
柔和や謙遜に見える人でも、意見をされると途端に頑なになり、まったく耳をかたむけない姿を目にします。もしかすると、それは自分の姿かもしれません。だからこそ、今日の聖書箇所は「愛を身に着けなさい」(14節)と語るのです。この愛は、私たちの中から出るものではありません。神様からいただいた愛です。神様が愛の衣を作り、それを私たちに着せてくださるのです。
私たちのすること、なすこと、思うことは、すべてにおいて不完全です。ですが、神様からの愛を知り、その愛を受け、その愛を着る時に、私たちは神様に結びつけられていくのです。