マタイ(마태)18:1-6
次世代に向けた神様の燃える御心を知れ。
今日の本文はイエスの弟子たちの問題から始まります。
これからユダの王となるイエス様の前で「誰が上の者に
なるのか?このような問題で弟子たちは争っています。
人間であるならば、このような問題で争わない人がいるでしょうか?しかし、イエスはこれとは異なるお話をされました。
まず、欲のない子どものようになりなさいと言われました。
子どものようにならなければ、決して神の国に入りことは出来ないし、もし入ってもそのような人は褒められないでしょう。
子どもと言う存在はこのように尊い存在であります。
即ち、一人の子どもを受け入れる人は、イエス・キリストを受け入れることと同じであると語りました。 5-6節「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。」、なぜ、イエス・キリストはこのように子ども尊く思っていたでしょうか。なぜ、世代の中で子ども世代が重要でありますか?
神様は子供を特別にえこひいきしましたか。それではなく、神様は全ての世代を愛しています。
特別に子どもを尊く思う理由は、その子どもたちが家庭、家柄、教会、さらに国と世界の未来を作りあげて行く主役であるからです。ですから全てのキリスト者は誰でも
本日の本文で4,5,6節に書かれている、子どものように
次世代の子どもを導き、主の体なる教会を満たすべきであります。そして、感受性が敏感な子どもの時に導き、
子どもの心の中に主イエスの福音を植えていかなければなりません。現代は邪悪な時代であると言われています。即ち、終末の時代ではないでしょうか?
このような邪悪な誘惑があるから脱線しやすい時代ではないでしょうか?私たちのために十字架で釘を打たれ、死んで葬られ、私たちの魂が生き返えられるようにして下さったイエスの血のような御言葉です。
次世代に向けた神様の燃える御心を知る信徒と教会は神様が必ず報ってくださいます。
次世代の働きにより一層に火をつけて行きましょう。