自分の飾りを取り去りなさい
出エジプト記 33:1-6
本文はイスラエル民がエジプトから出て荒野生活の中で起こった出来事を書き記しました。
3節「あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」
「わたしはあなたの間にあって上ることはしない。」即ち、これは神様はイスラエルから離したいということです。
なぜこのようになったでしょうか?
1節「主はモーセに仰せになった。「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。」
出20:1-2節「神はこれらすべての言葉を告げられた。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
この聖句と出33:3節は対照的な聖書箇所です。
そして33:7節「モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。」ここで、神様とイスラエルの関係が問題がない時にはいつも神様は「あなたの神」語っています。神との関係が崩れていくとモーセに対して、「あなたの神」という表現をしていることがわかります。今日の教会は神様と正しい関係になっているでしょう。神様からわたしの民であるといわれるような関係になっていますか?多くの人々は教会に来て、礼拝を捧げていますが、神様の臨在、神様の導きなどに関しては全然、関心もなく宗教的な行為、習慣的な礼拝を行っていることです。説教を聴いても言葉はわかりますが、信仰的な経験がされていないので、感動は生じないことです。
もしかしたら私たちにも「あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない」といわれるかもしれません。