2019.01.13 「善意の実」 ガラテヤ 5:22-23

武庫川教会 0 644

善意の実

ガラテヤ 5:22-23

 

今日の本文に書かれている「善意」と言う言葉は英語では「goodness」、ギリシャ語は「アガドス」です。①神様は「善意」の根源でおあられます。神様は創造から天国に至るまで善意を持っておられます。そして、求める人には与えれるお方です。

②善意はキリストの徳目でもあります。聖書は善意を聖霊の実であると表現しています。つまり、聖霊に

満たされる人には善意も満たされるのです。

エフェソ5:9節「光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。」即ち、善意は聖霊の実であり、光の身でもあります。ですからキリスト者として備え

なければならない徳目は「善意」であるということです。善意についてペトロはペトロ第一3:16節「それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。」

ヨハネ第三1:11節「愛する者よ、悪いことではなく、善いことを見倣ってください。善を行う者は神に属する人であり、悪を行う者は、神を見たことのない人です。」本文22節「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、」

善意の前には「親切」という言葉があります。

親切はギリシャ語では「クレストテス」、つまり

人間の心と感情の質を現す言葉で、善意は行為、行動

に焦点を合わせていると理解するのが望ましいのです。イギリスのある学者は親切は「潜在的」善意で、

善意は活動している親切」であると言われています。

なぜ、キリスト者は善意の実がなければなりませんか?それは言うまでもなく神様が善意をもっておられるからです。

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